私の読書日記週間文春2007年3月8日

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 昨年八月十五日、東大安田講堂において、「八月十五日と南原繁を語る会」というシンポジウムを開いた。第一部「東大の一九四五年八月十五日」では、安田講堂で終戦の詔勅を聞いた学生の最後の生き残り世代から思い出話を聞いた。第二部「南原繁の歴史的意義と現代的意義」では、佐々木毅、姜尚中、高橋哲哉、大江健三郎などが、さまざまの角度から南原繁を論じた。憲法改正と戦後レジームの終りが政治日程に上っている今日、「戦後レジームの基礎を作った南原繁の言葉」を手がかりに、戦後日本の原点を思い返してみようというのがシンポジウムの趣旨だった。
 シンポジウムの全記録が立花隆編『南原繁の言葉』(東京大学出版会 2200円+税)という形でできあがった。シンポジウムは超満員の参加者を集めたが、この本も書店の事前注文で早々と増刷になった。
 本の半分近くが終戦前後から六○年代にいたるまでの南原の発言記録である。それは読めば読むほど含蓄の深い、政治学者南原の英知のかたまりである。
 南原は新憲法を高く評価する立場に立っていたが、同時にいずれ日本でも憲法改正の声が出てくることを予期していた。しかし、「日本が新憲法を改正すべき時期は、わが国土から外国の軍事基地や軍隊が撤去され、日本が完全に自由独立となったときでなければならない」としていた。
 日本はいま、そのような完全な自由独立を獲得しているだろうか。
 品川正治『9条がつくる脱アメリカ型国家 財界リーダーの提言』(青灯社 1500円+税)は、そのような問いに否と答える。日本は事実上の対米従属国家である。日本全土に米軍基地があり、米軍が駐留している。湾岸戦争、イラク戦争を経て、世界第二の軍事力を保有する自衛隊は米軍に従属的一体化をとげている。海上自衛隊のイージス艦は米海軍とデータリンクシステムで結ばれており、事実上の集団的自衛権の発動状態にある。日本は海外にまで出かけて米軍の兵站業務をになう軍事的従属国家になってしまった。
 もっと重大なのは、日本がアメリカの政治的経済的従属国家となり、グローバリズムのスローガンのもと、アメリカの覇権型資本主義の世界支配を受け入れる政治選択をしてしまったことだ。日本経済は、アメリカの金融資本、アメリカの軍産複合体をますます富み栄えさせる方向で運営されている。
 日本がアメリカの従属国家から抜け出す道はどこにあるのか。憲法九条を武器として、アメリカに大義を問いつづけることだと品川氏はいう。日本は九条あるが故に「軍産複合体が経済をリードすることなく世界第二位の経済大国を築くという世界に誇るべき経済モデル」を作りあげた。九条は日本経済成功の最大の秘密であるとともに、日本に独自の国際的存在感をもたらした日本外交最大の切り札でもある。政界でも経済界でも、九条を捨てるべしの声が高まっているが、氏は、戦争国家の現実を何も知らない連中の愚論と斬って捨てる。
 品川氏は中国戦線で死線を何度もくぐってきた学徒出身兵にして、戦後は経済同友会専務理事などをつとめた財界の長老。  三高の生徒総代時代、査閲にきた京都師団長の前で、軍人勅諭を暗誦させられた三高生の一人が、「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」というところを、わざと「我が国の天皇は世々軍隊の統率し給う所にぞある」と唱え、「何い」と怒る査閲官に「違いますか?」と昂然と反問したというエピソードがすごい。事件の責任を取って前線に志願兵として出たという品川氏の言だけに迫力がある。

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 中田整一『盗聴 二・二六事件』(文藝春秋 1667円+税)は、山ほどある二・二六事件関連本の中で出色の一冊。構成が巧みで、整理がいきとどいているから、二・二六事件の全体像があらためてよく見えてくる。著者はNHKのプロデューサーとして、「戒厳指令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」(79年)と「二・二六事件 消された真実――陸軍軍法会議秘録」(88年)を作った人。二つの番組の製作秘話と事後に判明した新事実を語りながら今も残る二・二六事件の〓に迫っていく。
 いちばんの驚きは、『交信ヲ傍受セヨ』のハイライト部分、青年将校のリーダー、安藤輝三大尉のところに北一輝が電話をかけてきて、「カネ、カネ」「えっ」「マル、マル、カネはいらんかね……」と資金提供を申し出るくだりが、実はでっちあげだったことが判明したことだ。
 この盗聴記録は、軍法会議でも、北一輝を事件の黒幕と認定し死刑に処する根拠になった。歴史家もこれを確定された史実として扱ってきた。ところがこれは軍当局が北一輝を黒幕にするためにでっち上げたやりとりだったのだ。事実はこのやりとりがあったとされる時点で北一輝はすでに逮捕されて獄中にあり、電話しようにもできない状態だった。
 では電話したのは誰なのか。中田の推理は説得力がある。
 もう一つこの本が与える説得力あるショックは、東京憲兵隊が、事件の背後に皇道派幹部と青年将校の結託ありとにらんで、真崎甚三郎大将、荒木貞夫大将、香椎浩平中将(戒厳司令官)、山下奉文少将の四幹部を反乱幇助罪で一斉検挙するプランを練っていたことだ。それが軍最上層部からの〓指揮権発動〓によって止められてしまうのだ。このあたり本当だとすると事件の見取り図が通説と大幅にちがったものになる。
 二・二六事件といえば、藤原書店編集部編『二・二六事件とは何だったのか』(藤原書店 3000円+税)もある。こちらで面白いのは、「世界のメディアはいかに報じたか」。いい視点だが、各国報道の編集部訳があまりにお粗末。前坂俊之「日本のメディアはいかに報じたか」は情報が多い。事実問題としてメディアはこの事件をほとんど報道も論評もしなかった。その異様さが恐ろしいし、その内幕は情けない。ひとつだけ例外は東京日日の「うそくらぶ」という投稿欄。
 侍従が陛下に事件を報告すると、陛下は驚きのあまりよろめいた。侍従がハッとして「陛下いかがあそばされました」に、〓朕は重臣(重心)を失った〓。
 あの晩、高橋是清は素っ裸で寝ていた。反乱軍の侵入にあわてて裸のまま庭に出た高橋に、奥さんが「是清、是清(これ着よ)」と寝巻きを手に追いかけた。
 深刻事を笑いにまぎらす言論が最後の言論だった。

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 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』(KKベストセラーズ 2800円+税)が面白い。マリー・アントワネットと結婚したルイ十六世は強度の包茎だったため性交が事実上不可能だった。スペインのエンリケ四世はペニスの付け根が細すぎて勃起不全だったため結婚しても世継ぎができなかった。マスターベーションで放出した王の精液を大きな注射器で王妃の体内に注入することでようやく世継ぎができた。しかし、その後王妃が注射器なしでまたも妊娠したため離縁されたなどなど、歴史的女王のセックスも面白いが、最終章の英ダイアナ妃の章を読むとダイアナ妃ファンはショックを受けるだろう。
 生前ここまでは暴かれることがなかった秘話が次から次にあばかれ、〓乱としかいいようがない彼女の性生活が描かれる。ボディガードとの情事からはじまって、周辺の男たちと次々に肉体関係(それもとびきりヘビーな)をもち、ついにはフィットネスクラブに男あさりに出かけ自分から男に声をかけるようになる。「その相手といったら数え切れないほど」。おまけに嫉妬に狂って男の家に無言電話をかけつづけるなどの異常行動があり、英貴族社会ではダイアナは精神に異常をきたしたともっぱらの評判だった。

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