団塊こそ"知の救世主"  文藝春秋2007年6月

 この四月から、立教大学の大学院21世紀社会デザイン研究科の特任教授になった。
 つい先だって、「21世紀社会デザインとことばの力」というタイトルで、第一回の講義を行った。
 約六〇名入る教室がギッシリ満員で、まず、来ている学生の年齢層調べから入った。「二〇代の人? 三〇代の人……」と、十年きざみで、年齢を調べていった。
 それというのもこの大学院研究科、立教の学部、あるいは他大学の学部からの一般入試(筆記試験あり)で入ってきた学生より、社会人入試(筆記試験なし。一定の社会人経験必須。書類選考と口頭試問)で入ってきた学生のほうがはるかに多いからである。
 この研究科はできてすでに五年になるが、通算して約七五%が社会人入試なのである。社会人入試は、勤めをやめて入ってくる人もいれば、勤めたままで入ってくる人もいる(授業は基本的に夕方から夜にかけて。勤めと両立する)。
 手を上げさせてみると、なるほど各年代まんべんなくいる。私のクラスの場合、四〇代がいちばん多く、五〇代と三〇代がそれに次いだ。研究科全体としては二〇代がいちばん多く(一般入試はほぼ全員が二〇代)、三〇代がそれに次ぐ。
 立教大学は、日本の総合大学ではじめて社会人入試に門戸を開いた大学(七八年から)として知られているが、大学院も八五年から門戸を開いている。
 社会人に門戸を開いたといっても、金さえ払えば誰でも受講できるカルチャースクール的に門戸を開いたということではない。正規の大学院だから、授業は一般入試の学生と同じ水準。というより、入ったあとは、社会人入試組も一般入試組も完全にミックスされ、別扱いはいっさいない。もちろん授業も同じ。評価基準も同じ。入ろうとする学生には大学院での研究計画書を出させ、卒業するためには修士論文、博士論文を書かされる。論文が通れば、学位も与えられる。
 はじめてこのコースの学生たちに接したときにいちばん感じたのは、学生たちの学びの意欲の強さである。月なみな表現になるが、みんな目がキラキラ光っているという感じがした。若さでキラキラなのではない。半分以上がいい年をしたオジサン、オバサンというに近い年齢層の人たちなのだが、みな一様に勉学意欲に燃えている。私はいろんな大学、学会等の会合、さまざまの講演会等で語ってきたが、これほど意欲の点において質の高い聴衆に出会えることは滅多にない。


立教立花組の多士済々な面々

 ここに来る学生たちは、驚くほどバラエティに富んだバックグラウンドを持っている。この授業に出ている学生一人一人のバックグラウンドはまだ把握していないが、私はこの授業のほかに、もうひとつゼミを開講している。そちらでは、学生たちみんなの共同作業で、インターネット上に大きな「立花ゼミ」のページを作ろうとしている。いまはまだコンテンツ準備中の段階なので、正式のページ名も、正規のURLアドレスも取得していないが、この雑誌が出るころには、とっくに公開しているはずである。
 いま一応ページの仮タイトルを“立教立花組・乱歩通り裏六号館ネコ屋敷”(私の研究室は旧江戸川乱歩邸の隣の立教大学六号館にある。表の大通りが最近乱歩通りと命名された)としてある。ゼミ生の中に、インターネットの世界のプロの人たちが若干入っていたこともあって、作りはじめたら、アッという間になかなかのページができあがりはじめた。URLアドレスを打ちこまなくても、グーグル等で「21世紀社会デザイン研究科立花ゼミ」「立教立花ゼミ」「六号館ネコ屋敷」などで検索してみれば必ずひっかかるはずである。
 このゼミの最初の授業は参加者全員(一六名)の自己紹介からはじめた。彼らは実にさまざまの経歴を持っており、現役の放送作家がいたり、現役の経営コンサルタント、フリーのグラフィックデザイナー、地方自治体の中堅幹部、デザインハウスの経営者、大手企業のWEBページ編集長、セキュリティ関係の中小企業経営幹部、管理栄養士、大手出版社のマンガ雑誌編集者などなど、実に多士済々で話をしていて面白い。  これだけ多士済々なのも、この21世紀社会デザイン研究科というコースが独得すぎるほど独得なコースだからだろう。
 数年前から時代は二一世紀に入っているが、これからの二一世紀社会がどのような社会として展開していくか、誰も明確なイメージを持っていない。
 しかしそれは、二〇世紀社会をそのまま延長していけば自然にできあがるというような単純な社会でないことだけは確かである。
 二〇世紀社会と二一世紀社会のつなぎ目部分には、大きな地殻変動が存在している。だがそれがどのような地殻変動なのか、まだその全体像はつかめていない。しかし、すでにボンヤリとではあるが、その輪郭というか、方向性のようなものが見えてきている。
 その方向性を見定め、新しい社会の理念を構築し、そのモデルをデザインしていこうというのが、この研究科の基本コンセプトなのである。


社会をデザインする主体が変った

 二〇世紀社会と二一世紀社会のつなぎ目で起きた、社会のあり方にかかわる最大の地殻変動は何かというと、社会をデザインする主体が変ったということである。
 これまでは、社会デザインなどというものは、政府(中央政府。地方政府)の官僚が中心になって練っていく各種の計画以外の何ものでもなかった。要するに、政府の出してくる公共政策の束がすなわち社会デザインだった。政府は政府資金を用いてその政策を公共事業として自ら(コントラクターとともに)実現していく。住民(市民、国民)は、その過程で計画を説明されるあるいは相談されることはあっても、デザインの主体になることはなかった。
 しかし、二〇世紀の後半、急にさまざまの分野で、政府が自ら中心に立って推進するのではないタイプの公共的な社会活動が目立ってふえてきた。
 たとえば民間の企業がデベロッパーとなって発案し推進していく都市再開発事業がその一つの例だ。これは民間企業が営利目的でなすプロジェクトで、多くの成功事例がある。
 それとは別に、営利目的を持たない民間団体が主体となって展開する公共的活動があちこちで見られるようになった。最近よく新聞をにぎわす、NPO(ノンプロフィット=非営利)法人、NGO(ノンガバメンタル=非政府系)法人と呼ばれる組織が活動主体になっているものがそれである。これらの活動では、活動計画のデザインの段階から、民間が主体になっている。
 その他、対応しようにも政府の手にあまるような大きな災害が起きた場合など、たちまち全国からボランティア集団が集まってきて、救助、救援活動を自発的に行うといったことも、二〇世紀の終り頃からよく見られるようになった。
 このあたり、二一世紀社会の新しい方向性が明らかに見えてきている。これまで公共的な活動は、政府の一手販売だった。デザインは政府がし、実行は、政府資金と政府の命令によって、政府のコントラクターが営利目的で行うというのが常識だった。それがくずれてきたわけだ。
 二一世紀は、公共性の概念が急速に変ろうとしている時代なのだ。政府と営利活動が中心に置かれた公共性の時代から、「政府と営利組織」の対極的な存在である「NPO、NGO、ボランティア活動」が作る新しい公共性が社会のもうひとつの担い手として登場してきたということなのである。その場合、主役は民で、官の役割は、民のプロジェクトに対する協力者、協働者ということになる。
 言葉をかえていえば、二一世紀は社会組織の基本的パラダイムが大転換していく時代になったということである。
 二〇世紀社会を中心的に担ってきた組織のひとつとして企業があるが、企業もまた、このようなパラダイム大転換の時代に、その根本的あり方が問われることになった。これまでのように、企業は経済的利益さえ追求していればそれですむという存在ではなくなった。企業の社会的責任(CSR)が問われ、企業の社会貢献(メセナ活動。フィランソロフィ活動)がより問われる時代になった。
 こういったもろもろのパラダイムの転換期にあたって、その理論を構築していくとともに、そのような大転換のにない手となる組織(NPO、NGO)を作り、それを運営していくことができる人材を養成していこうというのが、この研究科の趣旨である。
 教官もそれにふさわしく、NPO、NGOなどの専門家、あるいは企業のメセナ活動、地域コミュニティ振興の専門家たちが集められている。
 カリキュラムは「非営利組織」「危機管理(家庭の危機管理、企業の危機管理、コミュニティの危機管理、国家の危機管理のすべてを含む)」「ネットワーク」の三つをキーワードとして組まれている。
 こういう独得のコースで私が何を教えているかというと、社会デザインの各論ではなく、「そもそも社会デザインとは何なのか」という原理論である。シラバス(授業内容の紹介パンフ)にはこう書いた。
「近現代の日本において、社会全体を大変革しようとする革命(維新)ないし大改革の思想が何度か登場した。ある場合は見事な成功をおさめ(明治維新)、ある場合は無残に失敗した(昭和維新)。
 成功の事例には、占領軍による戦後改革あるいは、小泉内閣による小泉改革をかぞえてもよいだろう。失敗の事例としては、1960〜70年代の左翼過激派による革命企図ないし、1990年代のオウム真理教事件などもあげられる。
 革命(維新)の原動力となるのは、『ことばの力』である。それは運動に参加する者にしばしば生命を賭けることを要求し、現実に多くの運動参加者が生命を落としてきた。彼らにそこまで運動にコミットさせる『ことばの力』とは何なのか。構想力なのか。夢想ないし幻想の喚起力なのか。
 成功と失敗を分けたものは何だったのか。各革命・改革のデザインとデザインの現実化過程にわけて、事例別に検討してみたい。
『21世紀の新しい社会デザイン』に向けて、我々は歴史から何を学ぶことができるのか」
 かなりの大風呂敷だが、こういう問題意識を前から持っていたので、もう一度立教の教壇に立つことになったのを機に、ゆっくり近現代史を横断しつつ、縦断しつつ、また洋の東西で起きたことを重ねあわせつつ、「社会革命の夢」とその「破綻と再生」について考え直してみようと思ったのである。
 二〇世紀は戦争と革命の世紀だった。二〇世紀を通じて多くの人が、戦争あるいは革命がもたらしてくれるであろう未来によきものを夢見、命を賭けて生きてきた。
 だが、百年単位で総括したとき、いかなる戦争がそしていかなる革命がよきものをもたらしたといえるのか。二一世紀社会においてもまた、戦争と革命は同じような役割を果すのだろうか。
 こういったことを考えてみたいと思っている。
 ゼミのほうのシラバスにはこう書いた。
「現代社会は、基本的に情報化社会だから、いかなる社会活動をするにあたっても、その有効性を高めるためには、広報活動が不可欠である。その実践的トレーニングとして、インターネット上に『21世紀社会デザイン研究科立花ゼミ』のページをクラス全員の力を合わせて作っていく作業を行うことにする」
 いかなる社会的実践活動も、まずは自分の考えていることに「賛同して、力を合わせてくれる人」を集めることからはじめなければならない。
 現代社会で何より必要な情報発信能力は、沢山の人に読んでもらえるようなインターネットのページを作ることであるから、その能力を身につけさせようということで、先のゼミを開いたわけである。


団塊世代よ、大学に戻ろう

 さてこのあたりまで、立教大学の21世紀社会デザイン研究科についていろいろ書いてきたが、この研究科を紹介するのがこの文章の主たる目的ではない。
 実は編集部から依頼されていたのは、団塊の世代大量退職の時代を迎えて、ヒマもカネもできた退職世代に、退職後の生活をただ遊び暮すのではなく、知的に有意義な生活を送るにはどうすればいいのか、生き方のヒントを与えてはくれまいかということだった。
 退職したすぐその翌日から生き方を変えろというわけにもいかないだろうから、むしろ退職前も含めて、“五〇代からの知的生活の方法”ないし、“知的生産の方法”みたいな原稿にしてはいただけまいかというような話だった。
 そういうことなら答えは簡単。本格的に知的な生活を営みたいと思うなら、大学に戻るのがいちばんである。後述するように、今の時代これが簡単にできる。
 大学には知的インフラがそろっている。いろんな先生が入れかわり立ちかわり、いろんな授業をしている。その中身はシラバスをのぞけばわかるから、面白そうな授業にもぐりこんでみるといい。たいていの大学が、学外の人でもそこまでは気軽に自由にできる。味見してこれは合わないと思ったら一回かぎりにすればよい。合うと思ったら本当にシニア入学の手続きをとればいい。
 大学のもう一つの利点はすぐに友人ができることである。特にシニアなら、若いときのようにものおじしたり、人見しりすることもないだろうからすぐに友人ができる。気軽に話しかければ、若い友人も、異性の友人もすぐにできるだろう。
 同じ趣味ないし同じ方向性を持つ友人ができたら、人生の楽しみは何層倍にもふくれ上がる。
 大学に戻っても、もう試験でいい点数をとっていいところに就職しようなどと考える必要がないから、気軽にキャンパスライフをエンジョイすることができる。
 別にどうしても卒業する必要だってないわけだから有名大学のキャンパスを探検するつもりでいろいろな大学の中を歩きまわってみると、あらためて、大学ほど知的空間がゆたかなところは他にないということがわかるだろう。
 大学はどこでもいい。慣れたところを求めるなら自分の出身大学がいいだろう。出身大学にはいやな思い出がある人、あるいは変化を楽しみたいと思う人なら、どこでも別の大学を試してみるといい。
 高校から大学に入るときは今でも激しい競争があるが、シニアで入るのは、そんなに難しくない。調べればすぐにわかるが、ほとんどよりどり見取りである。  後述するように、いま各大学ともシニア入学生大歓迎なのである。それに落ちたってバレるわけでなし、いまさら恥ずかしくもないだろう。気軽にトライしてみることだ。一つ落ちたら、二つ三つと気軽にトライを重ねればよい。
 大学に戻れば、最初の学生時代より何層倍も知的な生活を送ることができる。
 たいていの人は、最初の大学時代は遊んで暮してしまい、大学を出て社会人になってから、遊び暮した最初の学生時代を嘆き、「ああもっと勉強しておけばよかった」と後悔するはずである。「学生の頃、自由時間があんなにあったのに」と嘆くはずである。
 かくいう私自身、そのような心理的経路をたどり、就職して三年後に、もっと勉強したくなって、本当に勤めていた会社(「文藝春秋」だが)を辞めて大学に戻ってしまった人間である。
 そのときは、いろんな人から、「いまさら会社を辞めて大学に戻るなんて、お前はバカだ」といわれたが、いまにして思うと、これまでの人生で下したいろいろの決断のうち、あれは最良の決断だったと思っている。
 遊び暮した最初の学生時代とちがって、戻ってからの二度目の学生時代は猛烈に勉強した。いま思い返しても、二度目の学生時代が、生涯最も勉強した時代である。
 なぜそんなに勉強したのかというと、サラリーマン時代の、勉強したくても勉強する時間がとれない生活を送っている間に、猛烈に向学心がかき立てられていたからである。北欧のある国では、高校から大学にすぐ入ることが許されず、一度社会人生活をしてからでないと大学入学資格が得られないと聞く(実際にはすぐ入ることもできるが、四年以上の社会人経験があると、文句なしに入学資格が得られる)。これはいい制度だと思う。そのほうが、向学心がかき立てられ、大学に入ってからの勉学のしかたがちがうからである。
 立教の授業で感じた、社会人入試で大学院に入ってきた人たちの真剣な眼ざしも、おそらくこのかき立てられた向学心からきていたのではないだろうか。
 大学院に入るか、大学に戻るかといえば、目的に応じてどちらでもいいだろうが、カルチャースクール(センター)はおすすめできない。カルチャースクールで教えたことも二、三度あるが、やはり大学とはあまりに雰囲気がちがう。
 カルチャースクールの大半はどうしてもオバチャマ方の知的社交場という雰囲気を脱しきれず、真剣な学びの場にならない。それに、制度的しばり(テスト、レポート、成績評価、罰則)が何もないから、どうしても受講者の側に緊張感を欠いてしまう。


誰でも大学に入れる時代の到来

 先に述べたように大学はいまとても入りやすくなっている。俗にいう「二〇〇七年問題」とは、通常、団塊の世代の大量退職時代の到来を意味しているが、実は、大学にとっては、もう一つ別の二〇〇七年問題がある。
 それは、「大学全入時代」の到来ということである。今年から、大学入学志望者の数より、大学の入学定員枠のほうが大きくなってしまったのである。
 つまり大学さえ問わなければ、大学に入りたい人は誰でも、どこかの大学に入ることが可能になったのである。とはいっても、大学に入りたい人はみな一定の志望大学を持っているわけだから、志望が集中する人気大学はあい変らず、激しい競争がつづくことになるし、逆に、人気がない大学は、志望者が少なすぎて、競争なしの無試験入学大学になる。さらには、無試験にしても、入学者が少なすぎて定員割れを起し、大学の経営が立ちいかなくなる大学まで出てくる。そしてついには大学の倒産という事態すらありうる。そういう事態の展開が数年前から現実のものになっていることは、すでにニュース等に報じられている通りである。
 定員割れ=倒産の恐怖から逃れようと、人気がない大学は志望者集めに必死となり、中には中国に出かけていって、留学希望者をかき集めてくるといったことまで数年前から行われるようになった。
 留学生とならんで、最近各大学が力を入れだしたのが、団塊の世代の退職者など、勉学の意欲に燃えるシニア層の社会人を学生として受け入れることである。
 団塊の世代が大学に入学した一九六六年〜六八年は、大学への進学率がまだ一一・八%〜一三・八%だった頃だ。大学へ入れたのは少数者だった時代だから、団塊の世代には大学に入りたくても入れなかった人たちが沢山いる。その人たちにも大学はいま門戸を開いている。また大学に入った人たちにしても、彼らの大学時代は大学紛争まっさかりで、ストや休校、休講が日常的にあった。大学は出たけれどまともな大学教育を受けていないという人も珍しくない。その人たちの中にも大学へもう一度戻りたいと考えるシニア層がいる。
 シニア層を大学に迎える動きは、いま急速に全国に広まりつつある。かなりの大学が、シニアのための特別入学制度(やさしい入学手続きなど)を持つ。授業料の減免制度などまである。それも、志望者が足りなくて存続が危ぶまれている無名大学だけでなく、広島大学、中央大学、東京経済大学のような有名大学まで同様の制度をはじめている。
 文科省の調べによると、二〇〇五年入試で社会人特別選抜を行った大学は、全国七百二十六大学のうち、四百七十五大学に及ぶ。それから二年を経て、この動きはさらに強まっているはずで、おそらくいまではほとんどの大学がシニア入学制度をもっているはずだ。いまシニアにとって大学は入りやすくなっているはずといったのは、こういう意味である。
 シニア入学がこれほど急速に広まったのも、文科省が積極的に推進して、さまざまの助成策を講じたからだ。
 文科省(旧文部省)は、かつては初等中等の学校教育と、大学を中心とする高等教育の管理を主たる組織任務としてきたが、やがて社会教育に力を入れはじめた。そして最近では、少子高齢化という社会の大きな動向に対応して、社会教育の中でも、「生涯学習」の推進に力を入れるようになった。
 団塊の世代の大量退職の時代を迎えて、シニア世代の大学への受け入れが、いまや「生涯学習」最大の眼目になると考えた文科省が、これを推進しだしたのである。文科省としても、「大学全入時代を迎え、その結果として、大学が次々につぶれました」ということになっては困ってしまう。シニア世代を大学にどんどん入れていけば、大学のサバイバル策になると同時に、「生涯学習」振興の決め手になると考えたわけである。どういうことかというと、大学にシニア世代を入れるとき、通常の大学教育に参加させるだけでなく、大学というインフラ(教室、教育機器、教官と事務官)を利用した、多様な生涯学習をいくらでも展開していくことができると考えたわけである。これを機に大学を高等教育の場から生涯教育の場にしていこうという含みがあるわけだ。
 ここで、「生涯学習」ということについて、一言しておけば、これは文科省のやっている施策の中でも、最も意味ある施策だと思う。私は旧文部省のやってきた文部行政の大半に賛成できないし、なかんずく「ゆとり教育」は愚の骨頂どころか、日本という国家の土台をゆるがしかねないほどの愚行だと思っている。
 しかし、「生涯学習」をこれからの文科省の施策の中心にすえたのはきわめて正しいと思っている。
 なぜなら、人間の脳の本質は、「生涯学習」の一語につきるからである。人間の脳は生きている限り学習をつづけている。
 学習といっても、学校のお勉強的な意味で「学習」といっているのではない。知識をふやすという意味で学習といっているのでもない。行動する、考える、感じる〓〓人間のあらゆる営みにおいて、脳は瞬時もおかずに自動的に学習をつづけているのだ。


人間の脳は「全自動生涯学習マシーン」

 脳は生の営みのすべてをメモリーに取りこんでいく。過去の生がすべて入ったメモリーが脳だといってもよい。人間は新しく行動(思考、情動を含む)を起こすたびに、メモリーに蓄積された過去の全行動を参照しつつ微調整を繰り返していく。ポジティブな結果をもたらした行動は強化し、ネガティブな結果をもたらした行動はできるだけ避ける。これが学習というものの本質であり基本である。脳は自動的にそのように働くメカニズムを持っている。
 一言でいうなら、人間の脳は「全自動生涯学習マシーン」なのである。言葉をかえていえば、生涯学習こそ、人間の脳に本能として深く刻印された、人間の本源的ライフスタイルといっていいのである。
 でありながら、後述するように、最近日本の若者の一部にこの大切な人間の本能を失ったとしか考えられないような連中が出現しつつあるのは、困ったことだと思っている。
 話をシニア世代の大学復帰に戻すと、社会人を受け入れることは、大学にとってもいい結果をもたらしている。経営的にではなく、教育的にである。若い学生たちにとっていいのである。第一にシニア社会人たちは勉学意欲が若い学生よりはるかに強いから、若い学生がそれに刺激されて、前より勉学に励むようになるのである。
 意欲だけではない。シニア層のほうが、知識水準も高いのである。日本の初等中等教育は、いまより昔のほうがずっと水準が高かった。授業時間数からいって、日本の初等中等教育の水準がいちばん高かったのは、一九五〇年代から七〇年代の半ば頃までである。シニア層はこの間に初等中等教育を受けたから、学歴が低い人でも高い水準の常識を持っている。
 ところが日本の初等中等教育はその後低下の一途をたどってしまい、いまの学力低下時代を迎えた。  学力低下にさらに輪をかけたのがゆとり教育である。今年から、初等中等教育のはじめから終りまで一〇〇%ゆとり教育を受けたという世代が大挙して大学に入ってきている。その世代の新入生とシニア入学の新入生と、どちらが常識力が強いかといえば、もちろん圧倒的にシニアのほうが上である。
 ゆとり教育でいけなかったのは、授業時間数を減らしたことだけではない。指導要領の内容削減により、教える内容の水準が大幅に押し下げられたことが常識力の低下をまねいた。その上、高等学校になると、理科、社会で履修が求められる科目数そのものが減ってしまった。だから、いまの若者の世代には、旧世代にはほとんど信じられないような知識の欠落が起きることになった。要するに、かつて誰でも知っている常識と考えられたことが、いまでは常識でなくなり、知らないほうが普通ということが無数にあるのだ。  数年前から、テレビでよく見る風景だが、若いタレント、あるいはその辺の街の人に、我々の世代なら、そんなこと誰でも知っているはずとしか考えられない、ごくごく常識に類することを質問して、それに答えられない、あるいはバカ丸出しとしかいいようがない答えを引き出して、それをみんなで笑う番組がある。
 あんまりバカな答えが多いので、あれは相当に作りが入った番組と思って局の人に聞いたら、そうではないという。  「いや、あれはリアルなんです。ああいうアホバカとしかいいようがない、何を聞いても無知蒙昧な答えしか返せない連中が、いまの日本にはどこにでもゴロゴロいます。特別の人間を用意するヤラセをしなくても、街で若い人に片端から質問していったら、一定の確率で必ずそういう連中にぶつかりますから、それを編集して使うだけです」
 学校をちゃんと出て、標準的な成績をおさめてきた人でも、常識がポカポカ抜けた頭にならざるをえないのがいまの日本の教育制度だということだ。その点シニアの受けた基礎教育はもっと厚みがあってもっとオールアラウンドだったから、常識力ではシニアのほうが上なのである。
 若い世代の常識のほうが、シニア層の常識より上というのは、おそらく、シニアが教育を受けたころはまだ知られていなかったサイエンスの知識(たとえば、遺伝子、DNA。あるいはコンピュータ、ITなど)くらいのものだろう。
 だが、サイエンスでも、クラシックな物理の基礎知識になると、シニアのほうが上になる。なぜなら、かつて、高校生の八割が物理を履修したのに、いまは物理を履修する学生はたった二割になってしまっているからだ。ということは八割の大学生の物理の基礎知識は、中学理科の水準にとどまっているということなのだ。
 その結果、どういうことが起きているか。一昨年、東大工学部の電気工学科、電子工学科が定員割れを起してしまった。昨年は東大理学部の物理学科が定員割れを起した。いずれも理学部、工学部の名門中の名門学科である。日本のサイエンスやテクノロジーを支えてきた名門である。日本の産業基盤を支え、サイエンスの基盤を支え、ひいては日本の国力を支えてきたといっていい名門学科である。それが定員割れを起したのだ。一時東大の理工系の教授たちの間にはパニックが起きたという。問題が起きたのは東大だけではない。同様のことが、旧帝大クラスの大学のあちこちで起きている。
 「物理や電気、電子が定員割れを起すなんて、我々の世代には、そんなことありうるはずがないとしかいいようがないことです。だけど、よくよく考えてみると、それは十分ありうることでした。だって、高等学校でかつて八割あった物理の履修率が二割に落ちてるわけでしょう。大半の人が物理を習わずに大学に入ってきているわけです。そういう人たちがふえたら、物理に進学しようなんていう学生がいずれいなくなるということは当然予想されてしかるべきだったんです。だけど、物理はバイオまで含めて、あらゆるサイエンスの基礎中の基礎をなす学問ですよ。それを高校段階で二割の学生しか学習しないなんて、この国のサイエンスの未来はどうなるんですか。危いのは物理系のサイエンスだけじゃありません。日本のサイエンス全体です。そのうちに日本からまともな研究者は一人もいなくなります」
 この話をしてくれた高エネルギー加速器研究機構の教授は、ふんまんやる方ない表情でしばらく絶句していた。
 サイエンスだけではない。他の基礎的な社会常識の点でも、シニアのほうがはるかに上である。それに日本語の読み書き能力(特に漢字の読み書き)でも、シニアのほうがはるかに上である。その結果どういうことになっているか。いまや、新聞、雑誌、書籍といった活字メディアは、完全にシニア世代によって支えられているという状況なのだ。


活字メディアはシニア世代が支えている

 ちょっと年をとった人には信じられないことかもしれないが、いまや大学生の間では、「新聞を読まない」人のほうがとっくに多数派になっている。私は十年くらい前から東大工学部の機械工学科の学生に、メディア・ジャーナリズムについて年一回講義をしている。その際、「新聞を毎日読んでいる人?」とまず聞くことにしている。
 十年前にはかなりの人数が手を上げたが、その数は毎年どんどん減っていき、昨年はついに四、五人しか手を上げなかった(全体は七、八十人)。そこで、さらに、「この一週間一度も新聞を読んだことがない人?」「この二週間一度も読んだことがない人?」と質問を付け加えてみたら、手がゾロゾロ上がった。いまや、若い世代にとって、新聞は毎日読むものではなく、数週間に一回目を通せばいい情報メディアになってしまったのだ。
 もちろん彼らとて、日々のニュースに関心がないわけではない。ニュースはテレビとインターネットで入手できるから、新聞は必要ないという。読まないから、家を出て独立したときに、新聞を取ろうという発想がない。ために新聞各社は、実売数がどんどん落ちている。実は各社とも経営危機に近い状態にある。新聞社の実売数は実はよくわかっていない。各販売店に必要以上の部数を押しつけて無理やり引きとらせる「押し紙」という慣行があり、これが一種の粉飾決算効果を持つので、新聞社の経営は見かけ上悪くないのだ(販売部数が落ちていないことになっている)。
 しかし、粉飾決算が長つづきしないのと同様、新聞社の経営実態隠し(部数の水増し)もそう長つづきするわけがない。そう遠くない時期に、新聞各社がとんでもない経営危機状況にあることが明るみに出ると専門家は予測している。
 この落ち目の新聞を支えているのも、シニア層だ。若い世代がどんどん新聞離れしていっているのとは全く逆に、シニア世代は、新聞に昔と変らぬ愛着と信頼を寄せている。
 雑誌もまた若い読者を失いつつあり、部数がどんどん落ちている。とりわけ部数の落ち込みが激しいのが週刊誌だ。特に若いサラリーマン読者が多いといわれていた、「週刊ポスト」「週刊現代」の落ち込みが激しい。若いサラリーマンは、若い学生が新聞を読まないのと同様、ニュースマガジンの要素のある時事ニュース系オトコの週刊誌を読まなくなってしまったのだ。
 若い読者がどんどん失われる中で、かろうじて週刊誌の命脈を保たせているのは、シニア層の読者である。「週刊ポスト」にしても「週刊現代」にしても、中心的な読者層は、かなり前から五〇代以上になっていることが読者調査からわかっている。「週刊文春」「週刊新潮」などになると、もっとずっと前から中心読者は五〇代以上になっている。
 月刊の「文藝春秋」も、ずっと前から、シニア層によって支えられている。
 さてここでもうひとつ現実のものになりつつある二〇〇七年問題について述べておくと、それは、出版界の人ならみんな知っていることだが、インターネット広告費が、雑誌広告費を追い抜くという事態である。
 広告業界では、圧倒的な広告費がテレビメディアに流れ、第二位が新聞、第三位は雑誌というのが、ここ数十年の不動の順位だった。
 ところが、一九九〇年ごろから登場したインターネットが、毎年倍増どころか何倍増もしてしまう爆発的成長が一九九八年ごろからはじまり、二〇〇四年にはついにラジオの広告費を抜いてしまった。
 そして、〇七年中に雑誌の広告費を抜くことがほぼ確実視されている。このような状況は、出版業界に驚くほど大きな影響を与えることになる。
 それというのも、雑誌は、個々の雑誌によってちがうが、その収入の半分近くを、販売収入からではなく、広告収入から得ているからだ。広告がどんどんインターネットにとられていったら、多くの雑誌がつぶれざるをえないのだ。
 私は昨年から出版社の業界団体「全国出版協会」の理事をつとめている。つい先だって理事会があり、事業報告を聞いた。
 それによると九七年を頂点に、下落の一途をたどっていた出版物の販売額がようやく下げどまりだしたという。二〇〇六年の書籍売上げ高は、前年比一・四%増とわずかながら上向きに転じたのである。ただし雑誌売上げは四・四%減と史上最大の落ち込みを記録した。結局、出版物全体は二・〇%減になった。まだ出版大不況がつづいているのだ。
 私はしばらく前に『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』という本を出した。その中で、こんなことを書いた。
「人間が生きている限り、そして人間が知的欲望を失わない限り、『もっと本を読みたい』『新しい本にもっと出会いたい』と思うものです。もっと読みたいと思う本が次々にあらわれてくるということが、知的人間にとっては、生きている証しといってもいい。もしその欲望がなくなったら、その人はすでに知的に死んでいるといっていい」
 こう考えていたから、本がどんどん売れなくなった日本の現状は、日本人が全体的に知的に死にはじめたということを示すものだろうと思っていた。
 実際、書店の人に聞いても、出版社の人に聞いても、出版不況の現実はひどいものである。
 特に若い人が本を読まなくなった。ある新聞社が行った中高生の読書調査で、最近の一カ月間に、教科書とマンガ以外の本を何冊読んだかたずねたところ、まるで読んでいないという答えがいちばん多かったという。
 最近、あるメディアで、通勤電車の中で時間があるとき何をしているかを調査した。するといちばん多かったのが、ケータイのメール。次がケータイのゲーム。次にマンガ、スポーツ新聞などがならび、新聞(通常の日刊紙)、雑誌、書籍といった、まともな活字メディアに向う人がいまやほとんどいなくなっていることがわかったという報告を驚きをもって読んだ。そのあと通勤時間帯の電車に乗ることがあったので、注意して車内を見まわしたところ、たしかに、いちばん多くの人がケータイに向っており、昔ながらの活字メディアに親しんでいる人はほとんどいなかった。
 こういう状況が蔓延しつつあるようでは日本という国も間もなくもたなくなるのではないかと思った。
 文明といってもいいし、文化といってもいいのだが、その基底にあるのは、その文明圏、文化圏に属する人々の間で行われる情報のやりとりである。その情報のやりとりに最も有効に働く道具が言葉である。言葉によって作られる概念である。
 言葉の読み書き能力がその共同体から失われるとき、その共同体は文化的に死ぬ。読み書き能力が失われるところまでいかなくても、それが低下するとき、その共同体の文化は衰弱する。
 いまの日本に起きていることは、まさにそれなのだと思う。
 日本人の読み書き能力が集団的に衰弱してしまったので日本教育機関は大学にいたるまで衰弱しつつあり、もっぱら読み書き能力に依存して発達してきた業界(出版業)も、止めようもないほどの大不況におちいってしまったわけだ。
 このように深刻な日本の文化状況を救う一つの道は、団塊の世代が大挙して大学に戻ることだと思う。かつて彼らは、大学破壊のために大学占拠を行ったが、今度は彼らの大学占拠によって大学を再生させることも可能になると思っている。


「メメント・モーリ」の精神で生きよ

 さてここでシニアの諸君にいっておきたいことが、もうひとつある。
 それは、残り時間を考えよということである。六〇歳を越すと、人生の残り時間は少なくなる。残り時間を考えて、なすべきことに優先順位をつけろということだ。
 これは言うは易く行うは難しの典型のようなアドバイスだ。
 私は六六歳だから、団塊の世代より年齢はかなり上になる。私の場合、残り時間があとどれだけあるかというと、いいとこ五、六年だろう。死なないまでも、六〇代を過ぎて七〇代に入ると、知的生産力はガタ落ちになるという。
 これまで平均すると毎年一冊半くらいの本を書いてきた(時には年に三冊出すこともあったが、一冊も出せなかったこともある)。このペースが維持できたとして、死ぬまでにあと何冊本を書けるのか。それをどういう順序で書いていくか。そのあたりの判断がいちばんむずかしい。  私には、書くと約束したが、まだその約束を果していない本が少なくとも五冊はある。それを出していくことが最優先課題のはずだが、その五冊になかなか手がつけられない。
 その五冊とは別に、頭の中で書くつもりになっている本が三冊くらいある。それに立教における講義のように現に進行中の仕事で、いずれ本にしなければならないだろうと思っている本が三冊くらいある。
 それやこれやで、年一・五冊のペースを維持できたとしても、知力が低下しないうちに約束を全部果しきれるかといえば、すでに相当危いところまできている。
 そうであれば、他の仕事を全部切ってでも、未完の本を書くことに熱中しなければならないはずなのに、それができない。ついつい手近にある優先順位がずっと低い仕事に手を出してしまったりする。
 でも、年をとればとるほど、このアドバイスは重要な意味を持ってくるから、自分のことは棚にあげて、もう一度、強調しておこう。
 自分が死ぬまでにしなければならないと思っていることを、まずリストアップせよ。次に自分の持ち時間を考えろ。やるべきことのリストと、持ち時間を照合して、仕事の優先順位をつけ、ごまかさずにその順番で仕事をせよ。
 中世ヨーロッパの時代は、黒死病が流行るなどして、いつなんどき誰に対しても死が襲ってくるかわからないような時代だった。そのように死が日常化していた時代、人々は、骸骨、死神などを描いた絵を身近に置き、そこに「メメント・モーリ」とラテン語の格言を書きこんだ。 「メメント・モーリ」を日本では「死を意識せよ」などと訳しているが、文字通りの意味は『汝もまた死すべき存在であることを忘れるな』ということである。
 自分の死が翌日の決闘によってもたらされるであろうことを強く予感していたガロアが、たった一晩で、方程式の一般解に関する論文を書きあげ、それによって現代数学で最も応用の広い「群論」の創始者となったように、自己の死を意識することは、ときとして、人に恐るべき能力を発揮させる。しかし逆に死を意識することを全く忘れてしまうと、「今日できることは明日に延ばすな」ではなく、「明日やればすむことは今日するな!」の原則に従ってしまって、やるべきことをズルズル引きのばし、ついにやるべきことを何もやらないで終る人生を歩むことになる。
 シニアになってから、価値ある仕事を十分に果して、悔いを残さぬ人生を送るためにいちばん必要なことは、「メメント・モーリ」の精神だということを最後に付け加えておく。

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