第12回(12月13日) 講義内容

プログラム
1,「書く」ということ
①ちゃんとした文章とは
②ちゃんとした文章を書くために
③文は人なり
④個性を文章に反映させる
2,大学の教養課程(立教大学でいう全カリ)について
①教養とは何か
②大学教養課程の古今
UniversityCollege
④全カリ
⑤そもそも何が教養教育なのか?
3,人工物学と設計
①人工物と自然物
②人工物学と設計
4,配布プリントについて
 
1,「書く」ということ
 ―課題を通して
「ある程度まとまった分量を書く」ことは、これからの人生についてまわる。
大学の授業の他にも、就職試験や就職してから等、様々な局面、大事な場面で。
何事かを書くことは繰り返し課せられるだろうし、書いたものによって評価される場合がたくさん出てくる。文章がそれなりにしっかりしたものか否かによって人生を左右されることも多々あるだろう。では、ちゃんとした文章を書くにはどうすればよいのか。
 
 「ちゃんとした文章」とは
「ちゃんとした文章」は明晰である。明晰な文章は、読んでパッと分かるもの。
悪文が悪文たる原因は、その長さにあることが多い。
 ちゃんとした文章を書くために
(1) サブジェクトを提示
出だし部分で、何をどう書くのか・全体として何を論じようとしているのかを
手短に紹介する。その後は、始めに提示したプログラムに沿って内容を構造化。
その際、段落をうまく使うこと。
(2)主語・述語をはっきりさせる
 主語・述語の対応を明確に。
(3)書いたら読み直す
 書いたら自分で自分の文章を読み返すことが重要。
 この時のポイントは「客観的に」ということ。
 パソコンで打ったのなら、モニターでだけではなくプリントアウトして見る。
  画面上で見るのとはものの見え方は違うのだ。
 →人間の視覚の話へ…
 

 文は人なり
文章を書くことを要求される時というのは、要求した相手が書き手を評価・判断するためであることが多い。書き手は文章の中に自分を表現する必要がある。
(とはいえ、文章は基本的に個性を表現するもの。一定量書けば、そこには必然的に自分が出てきてしまう。)
 個性を文章に反映させる
個性の表現に固執し過ぎると、くせのある変な文章になってしまう。
しかし、どこかに自分を表現することは必要だ。
世間の通念と全く同じことを書いてもつまらない。
では、どうするか。端的に言うと以下のようになる。
 
①自分の外側に一つの評価軸を持つ
②複数の視点を提示する
※一本調子で書くと、複数のスタンドポイントは出てこない。
 どんな人も、他人とはどこかがちょこっとズレているものである。
(だから、世の中おもしろい)
そのズレを表現する(表現した結果が吉と出るか凶と出るかは別として)。
自らが自分のズレを認識し、自分なりの評価をしていることが相手に伝わるように書くこと。そのためには、自分を客観視できている必要があるし、世間一般の認識について知っていなくてはならない。
 *「一般をベースに自分の認識について書く」手法は、世間一般についての認識、自分についての認識、自分を客観視できるという点をアピールできる。
他にも、特異な人の意見を引き合いに出して、自分の考えを展開する方法などもある。
 
  2,大学の教養課程(立教大学でいう全カリ)について
 
教養とは何か
テキスト『東大生はバカになったか』を参照。
教養論については特に、以下の部分に書いてある。
・東大法学部卒は教養がない
・東大法学部は「湯呑み」を量産している
・東大諸君、これが教養である
・現代の教養
  大学の教養課程の古今
大学は基本的に専門教育と教養教育の二本柱でできている。
 
<戦後の大学教育の流れ>
 かつては一貫して日本の大学には、教養部もしくは教養学部があった。
それらの部が教養教育を担当、カリキュラム作成。
専門教育・教養教育の中身についての大枠作りは文部省が担当。

十数年前…
枠組みを大綱化→枠組み作りは各大学に任されることに。
結果、多くの大学で教養部分はつぶされる。

そうして最大の問題は発生した。
最大の問題:学生が、教養教育なしに大学を卒業、社会に入る。

今、あらゆる産業の人事担当者が大学教育に望むこと。
「大学は何よりも教養教育をやってくれ!!
(かつては、専門知識・専門教育を身につけた学生を求めていた。)
 <教養教育は継子扱いだった>
大学の先生は基本的に専門教育のコースにのっかった先生。
教養教育専門の教育者に関しては、東大は教養学部を作った。
教養の全体が教養教育全体を担っている。
東大の教養学部=旧制の一高
 ~昔の高等学校は大学の予備門的存在~
一高から八高まであり、ナンバースクールと呼ばれていた。
ナンバースクールだけでは足りなくなったため、全国に地方別に旧制高校を作る。
戦後、旧制高校の上に新制大学を設立した。
Ex. 昔の新潟高校+地域の専門学校=今の新潟大学
 

UniversityCollege
 

University…いろいろな学部を持っており複合的になっている。
専門学部をいくつかあわせた総合大学
College…旧制高校の世界。専門教育を受ける前段階の教養教育を行う。
 欧米では有名大学の本体はカレッジである(ハーバード大学etc.
カレッジを卒業した人が行くのが大学院:graduate school
(世界でも有名なのがハーバード・ロースクール)
アメリカの弁護士はロースクールの出身者である。
 

最近、日本もロースクール制度を取り入れ、アメリカのようにしようと試みる。
 日本の場合
大学の法学部→弁護士・法曹界関係者
 

アメリカの場合
大学の教養学部・法学部→ロースクール(専門職大学院)
 歴史的な経緯から、日本の高等教育と欧米の高等教育はそもそも微妙にずれている。
そのため、それを認識しないまま欧米の高等教育を理解しようとすると大きくずれた理解になってしまう。
 

<大学全入時代>
日本の高等教育は過渡期である。
大学全入時代を前に、学生が大学に期待すること・大学が学生に与えようとしていること・社会が大学に期待すること、それぞれが少しずつずれている。
その結果、大学関係者の誰もが、自分の理想像とずれたものに不安を抱いている。
大学関係者とは、教える側の教授陣、教わる側の学生、そして後々学生を受け入れる社会側。
 

 全カリ
『大学改革 その先を読む』(寺崎 昌男著)の紹介。
※寺崎 昌男さん:大学教育研究者で全カリの仕組みを作った方
 

現在、教養教育の指針を残している大学は
私立だと立教大学・国際基督教大学、国公立では東京大学くらいだ。
 なぜ立教が全カリで教養教育を残せたのか。
寺崎さんによるしっかりしたグランドデザインのおかげである。
 

そもそも立教大学はアメリカ聖公会が作った大学である。
そのためアメリカをモデルとした教育を行い、教養教育を比較的しっかりやってきたのだ(戦時中などの一時期を除く)。
それについては『大学改革 その先を読む』(寺崎 昌男著)を参照。
 

そもそも何が教養教育なのか?
 

教養教育の定義については実に様々なものがあるが、
少なくともこれは教養部分ではない。
パンのための学問(独:BROT WISSENSCHAFT)。
パンのための学問とは実学のことである。
これは教養教育ではない。
(実学を大学で教えるなと言いたいのではない。)
これはこれで大学で教えることの重要性があるが、もっと大事なのは大学を通して教養ある人間になること。
今、求められているのは幅広く色々なことについて知っている人。
教養教育は、人間学・社会学(すでにある社会学とは異なる)と言えるかもしれない。
広く人間・社会を知ること、いわゆる常識こそが教養である。
 

 3,人工物学と設計
『東大生はバカになったか』(ページ)図表27を参照
 
人工物と自然物-人間はどのような環境に置かれているか  今その場で自分の周囲を見回してみてほしい。
そして自分で見たもの一つひとつ、それが人工物か自然物か判断してみてほしい。
ほとんどが人工物ではなかろうか?
 身につけるもの一つをとってみても、純粋の自然物はそんなにないだろう。
ウール・木綿など、基本的には自然物だ。しかし加工されている。
純粋自然物としての着物、縄文・弥生時代の人々が着ていたような着物を
私たちは着ていない。
 <自然物と人工物、何がちがうか>
  一言で最大の違いを言うならば、
○自然物:神様・マザーネイチャーが作ったもの
○人工物:人間が作ったもの
 人工物は必ず、誰かがどこかで作っている。
そして作る前段階で設計というプロセスを経ている。
 人工物学と設計
 

<人工物学>
人工物学は十数年前に生まれた。
東大には人工物研究所があるが、これを創ったのは吉川弘之さん(元東大総長)だ。
吉川さんはもともとは精密工学の先生。東大の精密工学に所属し、設計学(吉川さん以前になし)をなさっていた。
 精密工学:今はロボット研究をしているが戦中は大砲の開発、造兵学。
※精密工学に限らず、戦時中の東大工学部は戦争のための武器の研究開発を行っていた。
戦後、占領軍下において戦争に関するこれらの部はすべて取り壊しされた。
 

<設計学>
物を作るには設計から始めなくてはならない。
設計とは具体的になんなのか。
どうすればいい設計ができ、どういったものが悪い設計なのか。
設計にまつわるありとあらゆることを考えるのが設計学。
設計は人間が物を作るから必要であり、人間が物を作るには設計が必要である。
設計をするために何をどう考えるのか。
設計そのものの基本構造を考えること、設計の一般理論を考えることは、あらゆる人工物について考えることになる。
 大規模なものとしては、都市設計や国家というシステムを考える。
これらは一般的に都市工学と呼ばれ、建築学から派生したものである。
 

 4,配布プリントについて
 人は言葉でものを考える。
その過程で、何かがひらめくということがある。
ひらめきとは一体何なのか。
  ひらめきの起こる起こり方≒アレニウスの式
 アレニウスの式、これは化学反応速度の式である。
脳が何かをひらめく時の式とアレニウスの式の構造は一緒である。
何かをひらめく時、脳内では化学反応にちかい現象が起きている。